2011年10月08日

自然エネルギー財団設立イベント

 9月12日に自然エネルギー財団の設立イベントが開かれた。
 そこでは創立者の孫正義が東アジア・スーパーグリッド構想をぶち上げ、マスコミでも取り上げられて話題になった。

 この日の午後には、1977年にソフトエネルギーパスという本を出版したエイモリー・ロビンズが登壇し、講演を行った。
 ソフトエネルギーパスは、当時一部で謳われていた自然回帰の思想と相俟って、たいへん話題になった。その後出版された日本語版では当時政財界に最も影響力のあるエコノミストの一人だった大来佐武郎が序文を寄せている。
 ソフトエネルギーパスとは、分散型発電システム、自然エネルギー、テクニカルフィックス(省エネ・節電など)の3つの柱を展開することで、ハードエネルギーにつきものの資源を巡る争いや核の脅威から抜け出し、永続的な平和を実現しようとの主旨で書かれている。
 だが、日本では大来佐武郎の序文にもあるようにソフトエネルギーには懐疑的で、その後ひたすらハードエネルギーパスを歩んでしまった。

 先月の講演では、ロビンズが今もソフトエネルギーパスを歩んでいることが示され、日本に対しては今からソフトエネルギーパスに進めば、燃料は乏しいが自然エネルギーの豊富な日本は世界に多大な貢献ができると激励した。

 最近の世論調査では国民も自然エネルギーを望んでいることが示されていて、遅れてやってきたソフトエネルギーパスに日本人も乗る心の準備はできているようだ。



posted by 春眠 at 11:00| 原発・放射能・自然エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月09日

小沢一郎と脱原発デモ

 小沢一郎衆院議員は、忙しい合間を縫って10月2日に市民との対話集会に出席した。陸山会裁判の判決後でかつ自身の公判直前ということもあって、そこでの発言はかなり注目された。

 前半は裁判について話し合われ、多くの人の関心はここに集まったようだ。マスコミでもその発言は報道されている。この市民集会では全員一致でもっぱら司法批判に終始していた。
 ただ、私が注目したのは、東日本大震災と福島原発事故について話し合われた後半の部分のほうだ。

 市民は次々と原発事故に対する不安な思いを告げる。今回の原発事故ほどマスコミ報道に疑念が持たれたことはかつてなく、マスコミが伝えない放射能の不安を訴えていた。
 海外の海洋汚染マップを示して、三陸沖が放射能に汚染されているが、日本の魚は安全だろうか、また、現在の日本の食品の暫定基準値は核戦争で食べるものが無いときに仕方なく口にするレベルで実は極めて危険なレベルではないのかといった疑念を投げかける。

 小沢も回答には四苦八苦している様子が見て取れたが、基本的に市民との対話を楽しんでいるようで、マスコミ相手の記者会見のときに見せる不機嫌な態度は皆無だった。小沢一郎という人が、いつの間にかマスコミ権力と距離を置く市民の仲間入りをしてしまったかのようだった。

 こうしたやりとりの中で私が一番驚いた市民からの要望は、小沢一郎に市民による脱原発デモの先頭に立ってくれというものだ。小沢は即答を避けていたが、まんざらでもなさそうな笑み(シャイな照れ笑いのようなお得意の笑顔だ)を浮かべていた。
 小沢一郎が脱原発デモを先導する姿には度肝を抜かれるだろう。市民活動家上がりの菅前首相が参加するよりもインパクトは大きい。

 小沢一郎という政治家は良くも悪くも変わり身が早く、あっと驚かせるのがうまい。
利権政治の中枢にいたときに日本改造計画を出版し、利権の破壊と自由主義経済の推進の重要性について訴えた。小沢はシュムペーターの創造と破壊をやろうとしているとその新自由主義的思想に驚かされた。
 民主党の代表か、あるいは幹事長のときだっただろうか、そのときはメーデーの労組の集会に出席し、満面の笑みを浮かべて組合員にビールを振舞っている姿がテレビで報道された。そのときは労組が左翼ではなくて右翼に属しているのではないかと錯覚させられそうになった。

 司法に懐疑的な人たちと脱原発派は、国家の強権批判という点で被るところもあるのだろう。小沢一郎に司法批判と脱原発のシンボルになってもらいたいとの思いがこうした市民にはあるのかもしれない。
 そして、そうした市民たちの思いを政治家・小沢のアンテナはキャッチしている。政治家は有権者のそこはかとない思いを読み取る能力に長けている。中曽根は世の情勢の変化に合わせてころころ意見を変えるので、風見鶏と批判されたが、政治家は皆、風見鶏であって、小沢も例外ではない。

 90年代バブルが崩壊して、閉塞感が充満していたときに小沢が創造と破壊の新自由主義を持ち出したのはその最たる例だ。小泉政権は、ほぼ小沢の日本改造計画の主張に沿って改革を実践した。
 よく批判される小泉改革は、元は小沢が言い出したことだ。

 強いものには巻かれろ。当時のレーガンからパパブッシュの政権の流れで、アメリカが新自由主義だったので、それに安易に従った。その程度のものだろう。

 ところで、最近、冤罪事件の発覚が相次いだことで市民の司法への感情がとても悪くなっている。市民の立場に立った司法制度改革の必要性を訴える人は多い。
 だが、国の制度を変えるには力がいる。司法改革を唱える市民の中に小沢支持が少なくないのは、おそらく司法改革を進めるために小沢一郎という力を必要としているのだろう。
 私は政治家など単に国民の要求を実現するための方便で構わないと思ってるので、彼らが小沢をどう利用しようと一切関知するものではない。

posted by 春眠 at 15:12| 原発・放射能・自然エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

日本再生可能エネルギー協会 キックオフ

 9月14日に日本再生可能エネルギー協会設立記念シンポジウムが開かれた。

 孫正義が立ち上げた自然エネルギー財団と似ているようにも見えるが、自然エネルギー財団は自然エネルギーに関する世界の知を結集する場であって、日本再生可能エネルギー協会はどちらかというと日本国内の自然エネルギー事業者の集まりとなっているようだ。

 開会の挨拶でISEP所長・飯田哲也は、将来は電事連以上の団体になっていることを期待していると冗談交じりに口にしていた。
 国民の希望と業界団体の目標が一致すれば、利権とは呼ばれないか、あるいは、良い利権となるのかもしれない。それでも、国民の常識から離れて利益を追求すれば、いくら再生可能エネルギーが国民の希望だといっても、悪い利権と呼ばれるようになるだろう。
 今後の活動を注視したい。

 自然エネルギー財団設立イベントで講演したエイモリー・ロビンズがここでも壇上に現れた。
 2つの講演の内容はほぼ同じだが、少し違う。日本再生可能エネルギー協会の講演には興味深いトピックが付け加えられていた。
 アメリカは中西部に広大な風力発電の適地があり、そこからアメリカ各地の大都市部に高圧送電線網で電力を供給するという案があるけれども、それよりも大都市部周辺の自然エネルギーを活用すべきだとロビンズは言う。
 たとえば、シカゴならミシガン湖に風力発電設備をつくり、そこから電力を得る、カリフォルニアやテキサスなら太陽光資源が豊富なので、太陽光を中心に電力を得る、といった具合だ。
 シカゴはウインディー・シティとも呼ばれ、風がよく吹くことで有名だから、ロビンズの主張もわかる。
 ロビンズは、ソフトエネルギーパスでも主張していたように自然エネルギー電源であっても集中型システムを好まない。分散型システムを好む。
 優れた分散型システムの例としてキューバの電力システムを取り上げていた。
 キューバは分散型のマイクログリッドを導入してから、重大な停電が無くなった。ハリケーンがキューバを襲い、電力設備の一部が打撃を受けたときも、分散型電源のおかげで大規模停電を免れ、すぐに復旧することができた。
 このキューバの事例は興味深い。キューバのようなエネルギー事情の悪い国でも分散型システムにすれば、電力は安定して供給されると知るとそれなら先進国でもエネルギー資源をもっと有効に活用できるのではないかと思えて来る。

 こうした海外の自然エネルギーの先駆者たちの話には、日本でよく言われてる話とは違う面がある。
 これからも注目していきたい。


posted by 春眠 at 09:33| 原発・放射能・自然エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

パルプ・フィクションと旧約聖書

 心正しき者の歩む道は、
    心悪しき者の利己と暴虐の不正によって包囲される。
 祝福されるべきは、愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者。
 なぜなら、彼こそが兄弟を守護する者にして
    迷い子たちを見出す者だからだ。
 そして、おまえがわたしの兄弟を毒し、滅ぼそうとするとき、
    わたしはおまえに激しい怒りでもって大いなる復讐の鉄槌を下す。
 わたしがおまえに復讐の鉄槌を振り降ろすとき、
    おまえはわたしが主であることを知る。

 これは、映画「パルプ・フィクション」でサミュエル・L・ジャクソン演じるジュールスが裏切り者を射殺する前にエゼキエル書25章17節だと言って聞かせた文章だ。
 しかし、この文章は本当のエゼキエル書25章17節ではない。以下に旧約聖書に書かれたエゼキエル書25章17節を記す。

 わたしは、彼らを憤りをもって懲らしめ、大いに復讐する。
 わたしが彼らに仇を報いるとき、
    彼らはわたしが主であることを知るようになる。

 本物と比べると映画の文章はかなり脚色されていて、相当ドラマチックな内容となっている。
 だが、パルプ・フィクション版のエゼキエル書25章17節が大幅に加筆・改稿されているとしても、旧約聖書の主旨には則っている。
 もともと旧約聖書には残酷なシーンが多く描かれている。神の命令によって村人全員を乳飲み子から家畜まで焼き殺すシーンや、村人が罪人を石で叩き殺すシーンなど、語弊があるかもしれないがホラー小説のような趣が旧約聖書にはある。
 パルプ・フィクションは悪徳と暴力を生々しく描いているのだが、どうもこれが聖書に書かれている人類が背負った原罪意識を現代的に具現化しているようにも見える。
 だからこそ、残酷なシーンの多いパルプ・フィクションであっても最終的には贖罪意識が具現化される。

posted by 春眠 at 07:55| 映画・音楽・文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

世界中でデモのドミノ倒しが起きてる

 アラブ世界での民主化を求めたジャスミン革命にはじまり、今やいろいろな国で普通の市民による大規模なデモが起きている。
 アラブの人々が自由と民主主義を市民の結束だけで手に入れてしまったことをただ見物しているだけでは我慢がならず、世界中で市民自らが「もっと民主主義を!」と動き出している。
 普通の市民によるデモのうねりに称賛の声と罵倒の声が入り混じり、支持の雄叫びと拒絶の嘆きが響く。

 ジャスミン革命を成功に導いたのは、新しいテクノロジーの助けが大きいと言われている。
 1989年に東欧で起きた民主化のうねりにもテクノロジーが果たした役割は大きいと言われた。
 当時の東欧で勝利したテクノロジーはテレビだ。
 東欧の人々はテレビで西側諸国の実情をこっそりと知り、西側社会は東欧の各政府の言う堕落した社会などではなく、テレビの映像を通じて自分たちが羨む豊かな社会を作り上げていると密やかに理解していた。
 ところが、今回のアラブからはじまるデモのうねりでテレビはほとんど役に立っていない。ツイッターなどのソーシャルメディアが大活躍した。

 日本で大きな脱原発デモが高円寺ではじめて行われたとき主宰者はツイッターで呼びかけたとインタビューで答えている。
 今、アメリカで起きているオキュパイ・ウォールストリートのデモもツイッターなどのソ−シャルメディアを通じて賛同者が増えたのだという。
 どちらも人々はマスコミがきちんと報道しないとマスコミを批判する。
 テレビは人々への影響力を失い、ソーシャルメディアが社会変革の主役に躍り出た。

 日本の脱原発デモとアメリカのオキュパイ・ウォールストリートの展開は似ている。まずツイッターで見知らぬ者同士がアカウントの信頼性によって、やろうとしていることへの支持の拡大をバーチャルに確信する。次にバラバラの個人がリアルに集まり出すと、それに賛同する組織、たとえば労組が乗る。
 日本の脱原発デモのほとんどは一般市民が中心になっているが、そこには労組や古い市民団体からも加わるようになった。919に明治公園を埋め尽くした6万人の人々を見よ。
 アメリカのオキュパイ・ウォールストリートも労組が後から加わり、運動は大きな盛り上がりを見せている。

 彼らの叫びは「俺たちの声に耳を傾けてくれ! 俺たちを忘れないでくれ!」だ。
 世界中でツイッターというメディアによって人々の声なき声が集約され、忘れられた大多数の見知らぬ者同士が連帯し始めている。


posted by 春眠 at 08:27| 政治・経済・社会・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。