2011年12月03日

元秘書の証言に苦しむ小沢一郎

 陸山会事件・小沢被告第6回公判が開かれ、大久保隆規元公設第1秘書に対する証人尋問が行われた。

 大久保隆規元秘書は法廷でいくつかの重要な証言をしている。
 以下は産経ニュースを参照し、ピックアップした。

・政治収支報告書について署名捺印したとの調書での証言は、事件の拡大を防ぐために自分のところで終わらせようとして、誤った証言をした。

・(平成16年)政治収支報告書は受け取っていない。裁判に至るまで見たこともない。

・会計責任者であったけれども象徴的な立場で、実際は東京のとりまとめ役(人事業務)に過ぎず、会計実務はスタッフがやっていた。

・会計収支についてはスタッフからまったく報告を受けていない。


 また、第4回小沢公判では石川知裕衆院議員が証人として証言している。
 4億円については、石川議員は小沢議員から渡された金ということ以外に出所を知らない。
 4億円の受け取りについては小沢議員より「用意できたから取りに来てくれ」と電話があり、元赤坂タワーズに取りに行った。金を受け取ると小沢議員より「ちゃんと戻せ」と言われた。
 政治収支報告書そのものを小沢議員に見せて説明したことはないが、概略は説明している。特に収入については説明している。
 りそなの4億円の返済方法については小沢議員と相談したことはないし、調書には小沢議員からの指示があったとあるが、それはなかった。調書にそう書いてあったのは、よくわからない。
 検事との任意聴取の内容を紙に書き起こしたものには「不動産の公表をずらすというのは報告してます」とあるが、小沢議員に報告したと検事に言ったと思うと曖昧に証言している。
 検事は小沢議員を起訴しないと言って、石川議員に小沢議員の事件への関与をしゃべらせていた。

 また、大久保元秘書も石川議員も小沢議員の収賄疑惑についてはきっぱりと否定している。

 上記より大久保元秘書は会計責任者だったが、あくまでも名目上のもので、実際はスタッフのまとめ役をやっていたに過ぎないことがわかる。
 実際の会計事務は石川議員がやっていたが、必ずしも小沢議員が収支報告書に関与していないわけではないこともわかる。

 裁判所と検察が一体化してるとの批判はよくあるが、今回の公判では小沢議員にとって不利に働くのは、皮肉にも裁判所と検察が分かれていることだ。

 検察は自白偏重で冤罪事件がいくつか発覚したことで、陸山会事件での小沢議員関与については、検察上層部が特捜部に物証を明らかにするように指示している。
 証言や調書だけでは、冤罪事件になる危険があるので、それを避けたかった。
 結局、特捜部は小沢議員の明白な指示があったことを示す物証(メモ、指示書などの書いたもの)を見つけられなかったので、起訴を諦めた。

 裁判所は、検察の検面調書の一部不採用を決めたように検察の強制捜査による密室での調書を信用していない。任意性が高く、公開されている証言を評価している。
 つまり、今回の裁判官は強制力の働きやすい関係に置かれた状況での証拠を信頼していない。これは同じように主従関係が成り立つ小沢議員と元秘書との関係にも当て嵌まるので、上下関係のもとでの「無かった話」も信頼していない。
 密室での強制力のある捜査が当てにならないので、公開の法廷での立証の過程で判明した事実、証拠というものを重視している。だからこそ、訴因変更も行われた。
 また、密室での検面調書を信用しない代わりに、公開の法廷での証言、特に偽証罪の成り立つ宣誓した証人の証言を信頼している。水谷建設元社長の法廷での贈賄証言は、当然ながら、信頼されねばならない。もしこの証言を裁判官が無視すれば、それこそ裁判官が公開の裁判、法廷を無視し、侮蔑したことになり、大問題となる。

 もうおわかりかと思うが、このような条件のもとでは、元秘書2人の証言は小沢議員に不利に働く。

 まず大久保元秘書は実質的には会計業務にタッチしなかったと証言している。
 石川議員も、収支に関して小沢議員と詳細なやりとりはしていないが、クリティカルなポイントは報告しており、また4億円を小沢議員から受け取ったときに言われた「ちゃんと戻せ」という言葉は、含意のある指示と判断できないこともない。
 また、検事との任意の聴取については、きっぱりと否定しておらず、曖昧にしている。つまり、宣誓した証人としては、完全否定が偽証になるとの意識があるのではと思われる。

 それに、彼らの検察の不当な取調への否定というのは、彼ら自身にかけられた嫌疑への否定がほとんどで、彼らの関与が薄いのなら、収支報告書虚偽記載という事実は厳然としてあるのだから、陸山会代表の小沢議員がすべてを主導したことになる。

 これらのことから、小沢議員の収支報告書虚偽記載への関与は状況的に否定できない。

 最後は裁判官の心証で決まるのだろうが、裁判所としての心証を導き出す論理はすでに確定しているように思われる。



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2011年12月06日

衰退に拍車がかかるテレビ

 テレビの衰退はここのところずっと言われていて、今さら何ら目新しさの無いテーマかもしれないが、巨人軍の騒動を見るにつけ、テレビ業界内部にもかなり追い詰められている者もいるようなので、改めて取り上げたい。

 9月下旬から10月上旬にかけて、テレビの週間最高視聴率が20%を切ったり、また低視聴率番組がトップ30に入ったりと、6月の19時台民放視聴率1桁騒ぎから続くテレビの今年に入っての低落傾向が、マスコミやインターネット・メディアでは報じられている。

 かつてはゴールデンタイムの目玉番組だった巨人戦もここ数年は平均視聴率が10%を切っているようで、その傾向は今年も変わらなかった。

 巨人軍の内紛劇についても、一部メディアでも伝えられているが、巨人戦の視聴率をテコ入れするために人気者をコーチにする、しないで上層部が揉めたようだ。
 所詮減り続けるパイの取り分をどうするかの争いを権力者同士がしてるだけのように見えて白けるが、巨人戦の視聴率が好調ならこんな内紛も起きなかっただろう。

 テレビの退潮ぶりばかりが伝えられるが、テレビの持つ速報性は震災時には発揮された面もあるし、同時に多数が情報にアクセスしようとすれば、ブロードキャスティングの優位は今も変わらずにある。

 ただし、震災以降の報道、特に原発事故関連の報道では、国民はテレビに不信感を持ち始めているようだ。
 テレビは政府の安全報道を垂れ流すだけで、独自の裏付け調査をして、政府発表の問題点を指摘することは無かったのではないか。
 これでは第二次大戦中の大本営発表報道と変わらない。
 マスコミというのは、どうも国家的危機の時には政府べったりになる傾向が強いようだ。
 国家的危機の際には、マスコミ自体も不安になっているから、政府にすがりつきたくなってしまうのか、マスコミに政府・国民を一致団結させなければという意識が強く働き過ぎるのか、このへんはよくわからないが、必ずしも悪意によって大本営発表になってしまうわけではないようだ。

 それで、やはり気になるのは、震災以降のテレビの位置づけだ。
 巨人戦の視聴率が悪いとか、テレビ全体の視聴率が落ちているとかは、ここ数年の傾向であって、震災や原発事故とは直接関係は無い。

 ところが、武田中部大学教授がテレビについて衝撃的な発言をしている。

 武田教授は、11月23日のIWJによる対談中継で、今度のことでテレビの総視聴時間が3割減ったと発言している。
 これは驚きの発言で、もし本当ならテレビ業界の基盤を揺るがしかねない事態が進行しているということだ。
 どの企業でも顧客数が1年も満たずに3割減ったら、大リストラ騒ぎになる。

 だから、巨人軍を巡る上層部の内紛は、当然起きる幹部リストラの一つだと見られなくもない。

 ただ、武田教授のこの発言内容はまだ正式なものでは無いようで、テレビ業界内部の主観的危機意識の交じった話のように思える。
 それでも、テレビ業界と接点のかなりある有識者からこのような話が漏れること自体、テレビが現在かなりまずい状況に置かれていると察することができる。

 また、Garbagenews.comでは、メディア環境研究所が毎年2月に集計しているデータをもとに、性別・世代別メディア接触時間の2010年から2011年への変移をグラフ化している。
 それによると、女性全体のテレビ視聴時間が大幅に減っており、若い女性(15〜39歳)でインターネット接続時間が大幅に増えている。
 これも衝撃的な分析結果で、テレビ視聴を支えてきた層が、テレビから離れているのだ。しかも、震災前にしてこの結果となっている。

 やはり、武田教授の話はスクープだったのだろうか。

posted by 春眠 at 06:51| Comment(0) | 政治・経済・社会・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月09日

外交と防衛の核を掌中に収める閣僚

 枝野幸男経産大臣は、12月2日に日本外国特派員協会主催で記者会見を開いている。

 そこで、今後の日本の通商と国内の経済を発展させるための重要な課題について話している。
 枝野は、円高で苦境にある日本経済だが、だからこそ強い円に見合う強い日本経済をつくると宣言した。大量生産低価格で売れる時代はとうの昔に終わっているのだから、経済システムそのものを転換する必要があると訴えている。
 安いから売れるではなくて、高くても買いたいと世界の人々に思われる製品開発の支援に向けて政府は舵を切る。
 そのために、需要創出と創り出した需要の取り込みに主眼を置いた政策を遂行する。

 彼は政策について3点に分けて説明した。

 一つ目が内需を創り出す新産業分野への集中だ。少子高齢化のためのヘルスケア、従来の原発や火力に代わる新しいエネルギー産業、日本の伝統的な価値を生かすクールジャパンの3つの産業を育成する。
 この新産業分野が育てば、それだけで実質GDPを1.3%押し上げることになる。
 イノベーションと需要のサイクルを円滑にするために雇用拡大による世帯の所得アップも重視する。
 中小企業の雇用を活性化し、新産業に見合った柔軟な働き方を支援し、伸びる可能性の大きい女性と高齢者の雇用を生み出す施策をとる。

 二つ目は、グローバル市場の需要の取り込みで、鉄道やスマートグリッドのようなインフラ輸出、日本の伝統文化力を生かしたクールジャパン、中小企業の海外進出支援などで、拡大する世界市場の需要を獲得する。
 そのためには積極的に巨大市場を持つ国・地域との経済連携を強化する。

 最後は、エネルギー生産性の向上で、省エネルギーと再生可能エネルギーを柱とした新しいエネルギー政策を来夏までにまとめる。
 立ち上げの早い省エネルギーに重点を置き、単なるエネルギー使用量削減ではなくて、生産を増大させながらエネルギー使用量を増やさないという効率の向上で臨む。

 今回の外国特派員協会での記者会見は、枝野と日本の経済産業政策を世界に向けてアピールするにはまあまあ成功した。
 それは外国プレスの枝野への対応にも現れていた。

 ポスト近代の経済社会システムの新しいモデルを示し、世界に貢献すると総括したこの記者会見は概ね外国記者からの評判は良かった。

 主催者は枝野の会見をCONCISEだと表した。
 日本人の政治家の発言が外国人記者から簡潔明瞭と言われたことはほとんどない。わかりにくい日本人政治家の話には通訳も苦労するし、外国人も理解に苦しむ。何を言っているのか、よくわからない。
 ところが、枝野の説明は論理的でわかりやすかったようで、他の外国記者も彼が発表した計画は素晴らしいと、計画そのものは称賛していた。
 主催者も枝野を気に入ったらしく、枝野には何度でも(外国特派員協会に)来てほしいと要望していた。
 枝野は日本語で通していた。政治家と外国人とのコミュニケーションで外国語が話せる、話せないということよりも、論旨が明快であることのほうが重要なようだ。

 外国記者からの質問は原発事故と原発政策に関するものが多かった。
 その中でも原子力と海外との関係において、国内に関しては原発依存縮小と明言した枝野経産相は、興味深い返答をしている。
 まず、国際熱核融合実験炉計画への参加については、取り止めとは言わずに、今は難しいとだけ答えている。国内のコンセンサスを得るには、ゼロベースでの議論の中で結論を出すつもりのようだ。未練はあるように見えた。
 原発輸出については、これまでの原発の経験と今回の事故の経験を生かして、海外から要望があれば、受けて行くと答えた。原発の安全性の向上では貢献できるとのことだった。

 原発輸出先では、ベトナムとサウジアラビアが注目されている。どちらもアメリカの外交戦略上重要な位置にある。
 ベトナムは対中の要衝であり、サウジアラビアは対イランの要衝である。
 中国・イランという2つの核保有国に対して、核のパワーバランスをアメリカは望んでいるだろうが、核兵器の拡散は望んでいない。核のパワーバランスのためにベトナムとサウジの2国にアメリカの管理下で原発を持たせるというのは、十分に有り得る外交・軍事オプションとなる。
 アメリカの原発メーカーのGEとWHは日系企業の傘下にある。だから、日米連携のもとで日本企業が原発をこの2国に輸出するのは有り得るシナリオなのだ。

 また、日本のTPP交渉参加によって、他国が動揺している。それは、単に日本が経済貿易交渉に入っただけでなく、米軍のオーストラリア駐留が決定したこととリンクしている。
 TPPが軍事的な意味を持ち、西太平洋に巨大な壁のつくられた中国が焦り出している。
 知的所有権に厳しい制約が課せられ、中国通貨切り上げも要求されるTPPへは中国は参加しにくい。
 だが、日本のTPP交渉参加表明を受けて、アセアン+6、+3での貿易推進の作業部会設置に日本とともに中国は協力するようになった。
 日本のTPP交渉参加とオーストラリアへの米軍駐留は中国へのプレッシャーとなっている。

 枝野幸男がかかわっている分野は、経済・通商という枠組みを超えている。彼は日本で唯一原発という疑似核兵器の海外展開を管轄し、軍事同盟の臭いのするTPPによって他国に外交上の圧力をかけている。
 彼は経済閣僚の名において、外交・防衛の中核を担っている。
 そして、グローバルな展開をテコにして、国内産業の高付加価値化への構造転換を目論む。

posted by 春眠 at 13:42| Comment(1) | 政治・経済・社会・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月19日

杉並区の芝生シートの放射能汚染から見える首都圏の校庭の不安

 杉並区の小学校の芝生の養生シートから9万6百Bq/kgのセシウムが検出され、首都圏での放射能汚染の深刻さが浮き彫りにされた。

 芝生は、冬の寒さに耐えられずに傷んでしまうので、寒さから守るために冬の間は芝生に養生シートを被せておく。
 保温性だけを考えて養生シートをつくれば、水分や空気が塞がれてしまうので、保温性を確保しながら水分や空気が芝生にも与えられるように通水性と通気性にも配慮されて芝生の養生シートはつくられている。
 保温性と通気性・通水性を両立させるために芝生の養生シートには無数の極微小な穴があけられている。

 杉並区では、この養生シートを4月上旬まで芝生に敷いていたので、ちょうど3月中旬の福島原発の爆発のときに飛び散った放射性物質を捕捉してしまった。
 養生シートが表面の滑らかな単なるビニルシートであれば、放射性物質は滑って止まらなかったはずだが、微小な穴が無数にあいていたせいで、穴に放射性物質が取り込まれてしまった。
 良い方に考えれば、芝生の養生シートが飛散する放射性物質を捕獲してくれたとも言える。

 杉並区によれば、12mx5mの芝生シートの一断片を計測したところ、上記の放射能が検出された。シートの重さは5kgだという。
 シートを畳んでいたときに0.61μSvが確認されたため、問題に気づいたようだ。ちなみにシートを広げた場合は0.1μSvになったという。

 もうおわかりだと思うが、この値を使って、ちょっとした数字遊びができる。

 芝生にかけられた養生シートの放射能汚染ということで、土の表面に降り注いだ放射能と同等にみなすこともできる。
 一般的にBq/kgからBq/uへの換算には65倍すればいいとされている。単純に上記の値を65倍すると約5百90万Bq/uとなり、チェルノブイリ強制移住基準の55万5千Bq/uを超えてしまう。
 これは杉並区だけの問題ではないだろうから東京都をはじめとして首都圏は強制移住レベルなのかと思えてしまう。

 だが、別の仮説も成り立ちうる。
 5kgのシートに降り注いだのであるから、単純計算してみると総量で45万2千5百ベクレルの放射能があったとみなせる。
 これが12mx5mの面積60uのシートに降り積もったのであるから、面積で割ると、約7千五百Bq/uとなり、少ないとはいえないが、居住エリアのレベルに収まっているとみなせる。

 土壌の放射能濃度を計測する場合、下の土と薄められるので、表面の放射能濃度に直すときにBq/kgを65倍することになるが、放射能を全量、シートが捕捉したとすれば、65倍するよりも、シート全体の量を面積で割ったほうが実態に近くなる。

 とはいえ、大量の放射性物質が首都圏に降り積もった事実は翻らない。
 首都圏の土壌は全般的に粘土質のため、さほど放射性物質が舞い上がることは無いだろうが、校庭には砂が多く含まれているために舞い上がりで生徒が放射性物質を吸入する危険がある。
 首都圏の校庭についても表面を剥ぐということを考えたほうが安心かもしれない。

posted by 春眠 at 14:44| Comment(0) | 原発・放射能・自然エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月25日

ハリウッドのデッドマン・ウォーキング

 映画「リービング・ラスベガス」が日本で公開されたとき、主演はショーン・ペンとスーザン・サランドンだと思っていた。

 ショーン・ペンはアル中の役をやるには線が細いような気がしたが、スーザン・サランドンは恋人の娼婦役にはピッタリだと思った。

 ところが、後でこれが誤りだとわかった。
 当たり前だが、リービング・ラスベガスの主演は、ニコラス・ケイジとエリザベス・シューだ。

 どうして勘違いしたかというと、両映画の公開時期が重なっていたのと両方とも精神的にボロボロになっていく人間の話ということがあり、自分の中でごっちゃになったようだ。

 スーザン・サランドンは娼婦どころか正反対の修道女の役をデッドマン・ウォーキングで演じていた。

 リービング・ラスベガスは、アル中の男の役はニコラス・ケイジで、この配役は合っていると思うが、ミッキー・ロークのほうがもっと合っていた。娼婦役は、エリザベス・シューよりはスーザン・サランドンのほうが合っている。

 ちなみに、同じ年のアカデミー賞で、ニコラス・ケイジは主演男優賞、スーザン・サランドンは主演女優賞をとっている。
 2人が同じ映画に出ていたらどうなっていただろうかとも思う。

 ところで、リービング・ラスベガスの映画化は、原作者のジョン・オブライエンが拳銃自殺したあとに速いスピードで進んだ。
 映画化権そのものは原作者の拳銃自殺の直前に契約が結ばれていたのだが、映画化権が認められたからといって、すぐに映画化されるわけではない。

 小説「リービング・ラスベガス」はまったく売れなかった。そんな小説の映画をハリウッドの巨大資本化した映画会社がすぐに撮るとも思えない。

 きっかけは、原作者の自殺だろう。
 原作者の人生と二重写しに見える映画を作ることで、宣伝で原作者の自殺をときに大袈裟に、ときにさりげなくアピールする。
 物語の中身よりも、作品の背後にあるセンセーショナリズムにハリウッドの心は動いたのだ。

 映画に投下された資金は回収されなければならない。センセーショナルな宣伝文句の無いような映画ではプロモーションが難しい。
 人の死をも消費し尽くそうとするハリウッドの資本の論理がよく現れた映画化だった。

posted by 春眠 at 09:59| Comment(0) | 映画・音楽・文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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