2012年01月10日

福島原発3号機爆発の謎解き

 福島原発3号機の爆発は核爆発だったのかどうか、まだその謎解きが続いている。
 3号機爆発が核爆発とする見方の根拠として、1号機と違って爆発が激しく、黒っぽい噴煙が真上に上がったということと真上に上がった噴煙がキノコ雲状に見えるということがあげられている。

 3号機は1号機よりも爆発が激しかったのは見ての通りだが、黒っぽい噴煙というのは、噴き上がった煙の中に含まれる粉々になった素材の粒子の色と燃え方にもよるだろう。3号機の爆発では火も見えるので、火災も起こしながらの爆発だったようだ。
 また、噴煙の頂上では、粒子の上昇力が失せて下へ落ちようとするが、下から吹き上げる噴煙によって真下に落ちることができないので、周囲に円形に広がる。核爆発でなくてもキノコ雲はでき得る。
 核爆発であれば、福島原発敷地内の作業員が光線、熱線、放射能で多数が即死していても不思議ではないが、公式には爆発による死者はいない。
 3号機の中央制御室にいた運転員も被曝量は大きかったようだが、今のところ健康被害が出ているとの報告は無い。

 核爆発としたほうがセンセーショナルであるし、その可能性も否定し切れないのだろうが、核爆発が起きた可能性は高くないのではないか。

 3号機を核爆発と見る向きには、1号機が水素爆発と先に報道されたので、水素爆発を過小評価してるのかもしれない。

 水素爆発は空気との混合比が4%を超えれば確実に起こるものではない。水素が70%まで増える過程では水素爆発はどこでも起こり得る。水素が増加する過程で着火源が発生したときに爆発する。
 水素が増えて発火すれば、それだけ爆発力も大きくなる。
 だから、3号機では水素が1号機以上に溜まって爆発したので、凄まじい水素爆発が起きたのではないかと推測できる。

 水素の爆発限界については原子力資料情報室の2011年10月13日のユーストリーム中継でも解説されている。

 水素の爆発限界が広いことで、4号機の爆発もある程度説明できる。
 3号機とつながった配管で水素が4号機に移り、4号機建屋で1日ずれて着火・爆発の条件が成立し、爆発したと説明できないこともない。
 3号機と4号機をつなぐ管が外れているという話もあるが、いつ外れたかは不明である。

 核爆発があったかどうかについては、今も詳しく原発設備を確認できないうえに地震、炉心溶融、爆発のどのタイミングでどう設備が壊れたかは今となってはわからないので、チェルノブイリ原発事故のように今後も曖昧な部分を残さざるを得ない。



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2012年01月14日

住民投票条例制定のための署名集めの激しさ

 大阪市での原発の是非を問う市民投票を求める市民グループによる署名活動が終了し、必要法定数の42673を大きく超える6万筆以上の署名が集まったと発表している。

 行政への要求や不服を申し立てる署名活動やカンパ集めの活動というのは、庶民の関心の低いテーマのときは署名を集めにくい。
 街頭での署名活動で声を張り上げられても煩いと感じるか、無視するかだし、署名集めをしている者が近づいてきて熱心に署名を求められると鬱陶しいだけでなく気味悪くもなる。
 近所の知り合いが署名を求めて訪問してくると複雑な心境になる。署名は気が進まないが、断れば近隣の関係を悪くするだろうと思う。断った後は、ネットワーク販売で有名な洗剤を親しい友人から勧められて断った後のような気まずさがある。
 カンパ集めに熱心な近隣住民がいると周辺では変な噂が立つこともあって、カンパ集めに熱心なあの人は頭がおかしくなったかのように言われることもある。
 市民活動というのは、関心の無い人にすれば、如何わしい新興宗教の勧誘に近いものがある。宗教もカンパと似たお布施や献金を要求される。

 それでも、原発は国民的関心が高まっているのだし、大都市・大阪なら5万筆くらいはすぐに行くだろうと思っていたが、1カ月しか許されない活動期間の出始めは苦労したようで、署名活動を諦めようと思ったこともあると市民グループの代表者の1人である今井一は言っている。
 状況が変化したのは12月23日あたりからで、大阪市内のスーパーを中心に署名活動を始めると一気に署名数が増えたという。
 12月21日にはテコ入れのため俳優の山本太郎も大阪駅周辺で街頭に立って署名を呼び掛けていた。さすがに山本が来ると人が振り向くようにはなるが、おもしろいことに大阪市民がいない。市外から梅田や難波といった繁華街には人がやって来ている。
 梅田や難波は華やかすぎて大阪市民の手を離れているようだ。
 山本太郎に人が寄って来るが、大阪市民がいないことに気づいて、活動グループも戦術を変更したのではないか。この後に、よそから人が集まる大阪の大都会ではなくて、大阪市民が暮らす場所に立地するスーパーでの署名活動に切り替えた。

 スーパーでの署名活動もゲリラ戦のように、何人かで特売日のスーパーを探しては出向いて行ったという。
 寒い屋外での署名活動が終わったあとも毎日2時間のミーティングを開いて、活動方針の見直しを行っていた。寝袋を持ってきて事務所で寝泊まりしていた者もいた。
 まさに野戦を闘う兵隊のようなものだ。

 署名活動というのが、原発のような国民的関心の高いものでも決して易しいものではないことがわかる。
 記者会見で今井一が見せた達成感と充実感もわかろうというものだ。
 そして、今回の署名集めは努力が実ったと称賛できるとしても、市民による政治活動が無理をしすぎてときに尖鋭化しやすい背景も垣間見えた。

 原発問題に限らず、政治課題・社会問題と世論と住民運動をどう結びつけて、住民の穏やかな政治参加をどのような形で可能とするかは依然として難しい課題を残している。

posted by 春眠 at 13:18| Comment(0) | 政治・経済・社会・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

ドイツでの抗議活動穏健化による広がり

 日本での福島原発事故の後、ヨーロッパでは大規模な反原発デモが起きた。特にドイツでは反原発デモの規模は大きく、十万人規模のデモが行われた。
 ドイツでは交通を完全に遮断した道路で歩行者天国を散策するように親子連れでデモに参加できるので、大規模なデモが可能だと言われる。
 ドイツには地域の連絡網に似たデモを呼び掛けるネットワークもあるようで、デモが地域での生活と結びついているようだ。

 親子連れのデモの明るい様子を見るとドイツは市民社会が進んでいるとも思うが、東西冷戦の時代は日本と同じようにもっと暴力的な抗議活動が行われていた。当時はドイツに限らずヨーロッパでは極左によるテロ活動が活発で、駅の爆破や経営者の殺害などの破壊活動が行われていた。
 こうした活動は当時の共産圏から支援を受けているとも言われ、活動家たちは人々のためと標榜していたが市民の政治への純粋な抗議というよりは、共産主義革命に通じるものと見られていて、活動が一般市民とは乖離してしまっていて、当時の日本の状況とも似ていた。
 ベルリンの壁が崩壊したことで、暴力革命を唱えるマルクス・レーニン主義も色褪せてしまったのか、こうした極左活動は急速に衰えた。

 昨年11月末にドイツで山本太郎が参加した、核廃棄物列車輸送を抗議する線路での座り込み抗議活動も、地元家族の参加も見られ、警備している警察も穏やかで、和気藹々とした雰囲気がある。
 日本のマスコミではかなり激しい衝突があったと報道されているが、山本が参加したグループは穏やかで、じっと線路に座り込み、静かに抵抗しながら警察に担ぎ出されていた。

 現在のドイツでは地域社会と政府への抗議活動がうまく馴染んでいるように見受けられる。
 かつてのイデオロギーを掲げた抗議ではなくて、生活に密着した危険や課題にフォーカスし、地域住民の理解を深めることで、地域住民の抗議活動への参加意識も高まったようだ。
 おとなしくしていると政府が勝手に弱い立場の住民に苦難を押しつけて来るとなれば、住民も結束して立ち上がるしかない。住民一人一人は弱くても、数を集めて結束すれば、強い政治意思となる。

 ただ、生活密着の課題であっても、地域住民参加型の抗議活動を広く展開するには優れたリーダーシップがいる。
 イデオロギー対立の時代は個性の強い情熱的なリーダーがいたものの、情熱が扇情を呼び、活動は極端な方向へと尖鋭化していき、リーダーも活動自体も暴走した。
 今も情熱は必要だろうが極端に走らずに住民の生活とともに歩める穏健で冷静なリーダーシップが求められる。

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2012年01月18日

検察不信がもたらしたJR福知山線脱線事故での山崎前社長無罪判決

 JR福知山線脱線事故では、安全担当役員だった山崎前社長が業務上過失致死傷罪で起訴されていたが、今月11日に神戸地裁は無罪を言い渡した。

 この判決について、事故の被害者は落胆し、納得できず、悔しさを口にしている。
 神戸地検の遺族への説明会では控訴を求める声が多かったという。
 神戸地検の次席検事は遺族の意見を尊重する方針のようだが、上級庁には控訴は難しいと慎重な見方もあるようだ。

 この捜査現場と上級庁との意思の「ずれ」というのはどこかで覚えがある。
 陸山会事件での小沢一郎起訴の可否で捜査現場の東京地検特捜部幹部は起訴を主張し、上級庁の幹部は否定していた。
 山崎前社長控訴と小沢起訴の両方とも、捜査に苦労した熱い現場と検察上層部の冷めた現実意識との検察内での乖離が見られる。

 山崎前社長公判では、被害者参加制度によって遺族も裁判にかかわっている。
 被害者参加制度は、検察審査会の起訴議決制度、裁判員制度と並んで市民感覚を司法に持ち込むために導入されている。
 市民が参加すれば、司法にいる側にとっての依頼人である市民の意思は尊重されねばならない。
 それは弁護士と依頼人、あるいは私立探偵と依頼人のような関係に似てくる。
 この場合は、神戸地検の検事は依頼人である被害者の意見や思いを尊重し、それに基づいて判断し、行動する。

 今、度重なる冤罪事件の発覚や証拠改ざんなどで、検察の取調や供述調書がまったく信用されていない。
 検事は市民の敵のように思われている。
 だが、今回の山崎前社長起訴で検事は事故の被害者という市民の味方として行動している。

 そうであれば、今回の事案では検察の供述調書は信用されてほしいと望むのだが、ほぼ同時期の別の事案では、検察の取調と供述調書が否定されている。
 陸山会事件では、検察作成の多くの供述調書が証拠として採用されなかった。

 検察の供述調書への不信感は、山崎被告に有利に働いた。
 JR西日本の社員などの証人が、次々と供述調書とは違うことを公判で証言した。
 彼らは供述調書で認めたとされる脱線の危険性を公判では否定した。

 裁判官は他の事案と同じく供述調書よりも偽証罪の適用される宣誓した証人の証言を重視する。
 現状の供述調書否定の風潮では、法廷での証人の証言が出揃った段階で判決は決まっていたようなものだ。
 証人として出廷したJR西日本の社員も鉄道関係者も自分らの親分を見事に守った。
 皮肉を込めて、あっぱれとしか言いようがない。

posted by 春眠 at 17:31| Comment(0) | 政治・経済・社会・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

非常用電源の外れたERSSとつながったSPEEDI

 SPEEDIに原子炉のデータを送るERSSに非常用電源が接続されていなかったことがマスコミで大騒ぎになっている。
 ERSSに電源があれば、SPEEDIに放出源情報が送られ、正確な解析ができたかもしれないのにそれができなかったというのだ。

 この件については問題が2つある。
 1つが保安院の体質の問題で、もう1つがSPEEDIによる解析の問題だ。

 まず保安院は非常用電源の接続を指示したというが、正確には保安院の下請け機関の原子力安全基盤機構が東電に指示した。
 原子力安全基盤機構は、原発メーカーの技術者の寄せ集めでできていて、技術には詳しい。この件での保安院の対応を見ると、保安院は同機構に原子力施設の検査を丸投げしていて、プラントの技術の詳細がほとんどわかっていないのがわかる。
 だいたい、非常用電源の接続を指示したら、接続したかどうか確認するのが筋だ。確認を怠っていた保安院の責任は重いし、保安院という組織が実務に直接かかわっていないことがわかり、このような税金を無駄使いしている組織が必要なのかどうかも今後は議論されなければならない。

 次にマスコミが伝えるところによると、ERSSに非常用電源が接続されていれば、本震後の2時間はデータがSPEEDIに送られて解析ができた可能性があるという。
 なぜ2時間だけなのかが不思議で、非常用電源が2時間しか持たないのかと思いがちだが、どうも本震の2時間後に余震などで国の通信網がダウンしてしまい、電源があってもERSSからSPEEDIにデータを送れなかった。
 とすると、本震後の2時間だけのデータでSPEEDIが正確な放射能の拡散予測ができたかどうか甚だ疑問であるし、プラント・データそのものは東電も捕捉していたのだから、それをSPEEDIの運用チームに送れば、手動でデータ入力くらいできただろう。
 その後は、原子炉の計器そのものも正常に作動していたとは思えないような値が出ていて、専門家の中にさえ水位と圧力はまったく当てにならないと断言している者もいる。たとえ、ERSSがデータを送れたとしても、そのデータそのものが信用できなければ、信用できないデータを受け取ったSPEEDIでの計算結果も信用できない。
 原子炉は地震と注水不能による超高熱で計器や配管やらが壊れていて、計器が精密な値を計測できなくなっていたのに、どうしてその誤ったデータが伝送されたSPEEDIで精密な計算ができようか。

 そして、SPEEDIで放射能の飛ぶ風向きがわかっていたら、避難民の被曝を避けられたという話もあるが、当時は原発事故だけが起きたのではなく、地震もあったのだ。
 道路は破壊され、余震の心配もあった。
 放射能を避けるだけでなくて、余震による被害を避けながら、迅速に破壊されていない道路で避難しなければならなかった。
 しかも、当時の福島原発周辺は風向きが一定ではなく、風向がころころ変化した。
 SPEEDIが正確に計算していれば、高放射能汚染地帯の北西方向に逃げることは無かったという話もあるが、これだけ複雑な気象状況で速やかに正確に計算できたとは思えない。
 発表された放射能拡散解析図は、現実の放射能汚染を反映していたが、現地で線量計により捕捉したデータを入力して作成したものだと枝野経産相は言っているので、反映していて当然だ。SPEEDIは後から入れた実測値を使って単に図を描いただけなのだから。

 飯舘村に避難民が逃げたのも、地盤が強固で地震の影響を受けない土地だったので、余震の被害を小さくしようとすれば、間違った判断とも言えない。
 もちろん、本当に放射能の拡散が正確に予想できるなら話は別だが、公表されていたヨーロッパの放射能拡散予想にしても太平洋に飛ぶのはわかったが、福島県内での細かな拡散の状況はわからなかった。
 風向のころころ変わる複雑な気象状況でたまたま放射能プルームの移動中に飯舘村で雪が降ったために高線量地帯となってしまった。プルーム移動後に雪が降ったのであれば、高線量地帯にはならなかっただろう。
 逆方向のいわき市・北茨城方面もかなり高濃度の放射能プルームが流れたと言われており、たまたま降雪・降雨が無かったので、飯舘村ほど酷い放射能汚染にならなかっただけかもしれない。

 つまり、日本のような地震が原因で原発災害が起き、地形も気象状況も複雑な国では、SPEEDIは役に立たない。
 事故以降、誤った判断を続けていた原子力安全委員会であるが、SPEEDIの利用をやめると最近決断したのは正しいと思う。SPEEDIよりも現地で計測した実測値をさっさと公開し、実測値に基づいて対策を練ればいいのだ。隠蔽があったとすれば、SPEEDIの解析結果ではなくて、現地での実測値のほうだ。
 そして、これから大事なのは、被曝した一般公衆の総被曝線量を下げる措置を政府がどう取るかだ。

posted by 春眠 at 18:47| Comment(0) | 原発・放射能・自然エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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