2011年11月04日

薄緑色のサマードレスを着た女の凄絶な純愛劇

 作家ジョン・オブライエンの代表作「リービング・ラスベガス」には二人の主人公がいる。
 一人はベンという飲んだくれの男で、もう一人はサラという売春で生計を立てている女だ。二人はラスベガスで出会い、恋に落ちる。
 二人がいっしょに暮らし始めてからある晩、サラの提案でギャンブルに行くことになった。

 そのときの彼女の身なりはこんな感じだ。
 薄緑色のサマードレスを着て、髪の毛は自然におろされている。両方の耳についているイヤリングは揃いのものでは無い。違うイヤリングを右耳と左耳につけている。

 さて、サマ−ドレスがどういうタイプのものかは詳しく書かれていないので、勝手に想像してみる。
 色は薄緑色ということだが、単色ではないだろう。薄緑が基調となって、他のもっと弱い色、たとえば、白かそれに準ずる色が使われてるはずだ。柄もついている。花柄でも水玉でも無いだろうが、草木をイメージした抽象的な柄が入っている。
 ノースリーブではなく、おそらくショートスリーブだろう。ワンピースのドレスのスカート部分には襞が入っていない。
 同じ一つの布地を頭からストンと被ったようなつくりになっていて、大きさは多少ゆったりしているが、身体の線が見えないということも無い。

 こう想像した理由を説明すると、サラは一色で描かれるほど生真面目な人間ではないから単色ではないし、人間性に豊かさが見られるのでドレスには柄が入っている。フォーマルなものでないから、尚更そう思える。
 ノースリーブでないと思えるのは、彼女はおそらく身体がそれなりにしっかりしていて、重みがあると思ったからだ。つまり、彼女の肩の周りは痩せている女性ほど骨ばっておらず、どちらかといえば肉付きのよい肩をしている。そういう肩を露出させるのはあまりエレガントではなく、ショートスリーブで少なくとも肩は隠したほうが良いはずだ。
 身体の線は崩れてはいないが、自慢するほど身体の線がきれいではない。そのへんを曖昧にするために余裕のあるドレスを着る。だが、断じてぶかぶかではない。肩の肉付きは良くても、下腹はたるんでおらず、引き締まっている。ウエストについてはさほど悲観していない
 襞が入っていないのは、彼女が普段の生活の中でドレスに襞を入れるほど夢見てはいないからだ。日々の現実をこなしていくだけの生活に、たとえデートであっても、襞はふさわしくない。

 恋人のベンは、サラのこの装いを趣味が良いと思った。男がそう判断したのなら、恋は盲目でなければ、女が衣服で自分の弱点をうまく隠し、良い面を強調しているはずで、このようなサマードレスなら趣味が良いと言えるのではないかと多少なりとも細部を詰めてみた。

 この装いで一番のポイントは、イヤリングだろう。サラは別々のイヤリングを左右の耳にぶら下げている。
 ベンは、彼女の別々のイヤリングが気に入ったようで、彼女に別々のイヤリングをつける女性が好きだと言う。
 そう思うのは彼がバランスを欠いているからだと小説では説明されている。バランスを欠いてる者にとっては、ときにバランスのあるものが憎くなる。バランスのとれていないものがとても愛しく、美しい。
 バランスのある一般の良識人であっても、ときにバランスを欠くことはあって、ベンと同じように思うこともたまにはあるかもしれない。だが、ベンはそれが常態化している。
 ところで、このとき娼婦のサラはベンに告げる、自分が仕事で客と寝るからといって、左右の耳で違うイヤリングをつけたような別の女を連れ込んで自分をばかみたいに見せるのだけはやめてくれと。
 サラは娼婦だけれども、これが男に要求する最低限の尊厳だった。
 ベンは、そんなことをするわけがないと確信していた。

 物語はサラがこの趣味の良い薄緑色のサマードレスを着てから、急展開を見せる。
 お互いが少しずつ見えて来る。二人が背負い込んだ人生の重み、試練がのし掛かって来る。

 サラには、ベンがただのよくいるアル中ではなくて、アルコールのせいで相当重い病にかかっていることがわかってくる。
 サラが心配して医者に行けと言っても、ベンは聞く耳を持たない。それどころか、ひどく機嫌を悪くする始末だった。
 そんなベンを許すようにサラは次のように言う。これはこの小説でも有名なセリフだ。

「あなたはそんなに具合が悪いのだから、あなたを生かし続ける唯一のものが、たぶんわたしなんだわ」

 この優しさに反抗するかのようにその晩、ベンは別の娼婦を家に呼ぶ。
 そこにサラが娼婦としての仕事を終えて帰って来る。
 サラの尊厳はずたずたに引き裂かれる。
 あとは、すすり泣く女と後悔の念に押し潰されて部屋を出て行く男の姿。

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 その後、女は男に再び会う、娼婦でさえぞっとするような薄気味の悪い部屋で。
 男は二人が別れなければならない原因を作ったことで涙ながらに謝罪する。
 でも、女は男の謝罪を聞きに来たわけではない。彼女はひどく具合の悪い男を看病しに来たのだ。
 女は男を慰めながら、すべての謎が解けたと思った。
 そのときの彼女の思いは以下のように説明されている。

 わかったのは、彼女はこれからの人生で何度も何度も、毎分毎秒どういうふうに彼を愛し続けていくか。

 わかったと思ったとき、思いが伝わる間もなく、ドラマの幕は下がる。


 ちなみに、角川版の解説によれば、作者のジョン・オブライエンは、まったく売れなかったこの小説の映画化の件で2千ドルのオプション契約をファイナライズさせた2週間後に拳銃で頭を撃ち抜いて自殺したのだそうだ。享年34。
 殺風景な部屋に残されていたのは、ピザの箱と半分空になったウォッカのボトルだけだったという。



posted by 春眠 at 14:48| Comment(0) | 映画・音楽・文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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