2012年01月24日

郵便不正事件での厚労省元係長有罪判決に見る官僚制度の誤謬

 郵便不正事件では上村元係長の執行猶予つき有罪判決が大阪地裁で出され、村木元課長無罪と合わせて厚労省サイドの公判は一応の終結をみた。

 上村のようなノンキャリア官僚の犯罪といえば思い出すのは外務省機密費流用事件がある。
 外務省機密費流用事件では、流用したノンキャリア官僚が莫大な経済利得を手に入れているが、上村が不正な証明書を発行した事件では上村の経済利得がはっきりと見えない。
 強いて挙げれば、上司から証明書発行の仕事を速やかに処理したという評価を得ることによって、将来自分の給料が減るのを回避したというのが経済利得ということになるのだろうか。

 この証明書作成は、上村が前任者から引き継いだものなのだという。当時の村木課長が前任者を証明書発行業務にアサインしたとされている。前任者はアサインされた仕事をクロージングさせることなく異動した。
 異動した理由が知りたい。通常のローテーションなのか、業務をこなせなかったので、上村に代えられたのか。今のところよくわからない。
 証明書発行業務を上司たる村木課長からアサインされた者が異動しても、そのポストに証明書発行の仕事は残る。後任の上村係長は不正と知っていたのに前任者から引き継いだ雑務だからとやり遂げる。
 上村は新たに着いたポストにアサインされていた業務をこなさないと評価に影響するからやったのだという。不正な業務でも上司の覚えをよくするためにやらねばならいとしたら官僚組織とはどんな組織なのだと思う。

 当時、村木課長は上村係長に指示していないということなので、ノンキャリア係長はキャリア課長の管理から外れて、前任者からの引き継ぎ業務というだけで仕事をしていたことになる。
 上村係長が、一般的な証明書発行業務として村木課長がアサインした仕事を前任者から引き継いだとしても、そこに不正組織・凛の会が含まれていたとするなら、業務を速やかにこなすには不正を犯すことになる。
 ノンキャリア係長は、公務としてアサインされていた仕事で、そのうえ不正の臭いがするのに、上司のキャリア課長に一切相談せずにやったという。
 いったいどういう管理体制なのだと思う。よく言われているようにノンキャリアとキャリアが分断されているのなら、一つの組織としての管理がまったくなされていないことになる。組織の管理不全めいた状況にある。

 村木課長はその後局長へと昇進しているので、このようにノンキャリアに仕事をアサインするが、仕事のプロセスには一切タッチしない、つまりノンキャリアの部下の仕事の相談に乗ったり、助言を与えたり、進捗を管理したりしないのが、キャリア官僚の管理手法として優れていると評価されているのだろう。
 つまり、一つにまとまった組織の効率的な運営よりも、管理不在、組織分断こそが、官僚体制における優れた管理なのだ。
 これは官僚制度そのものの誤謬に見えるが、そういうものなのだろう。



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2012年01月18日

検察不信がもたらしたJR福知山線脱線事故での山崎前社長無罪判決

 JR福知山線脱線事故では、安全担当役員だった山崎前社長が業務上過失致死傷罪で起訴されていたが、今月11日に神戸地裁は無罪を言い渡した。

 この判決について、事故の被害者は落胆し、納得できず、悔しさを口にしている。
 神戸地検の遺族への説明会では控訴を求める声が多かったという。
 神戸地検の次席検事は遺族の意見を尊重する方針のようだが、上級庁には控訴は難しいと慎重な見方もあるようだ。

 この捜査現場と上級庁との意思の「ずれ」というのはどこかで覚えがある。
 陸山会事件での小沢一郎起訴の可否で捜査現場の東京地検特捜部幹部は起訴を主張し、上級庁の幹部は否定していた。
 山崎前社長控訴と小沢起訴の両方とも、捜査に苦労した熱い現場と検察上層部の冷めた現実意識との検察内での乖離が見られる。

 山崎前社長公判では、被害者参加制度によって遺族も裁判にかかわっている。
 被害者参加制度は、検察審査会の起訴議決制度、裁判員制度と並んで市民感覚を司法に持ち込むために導入されている。
 市民が参加すれば、司法にいる側にとっての依頼人である市民の意思は尊重されねばならない。
 それは弁護士と依頼人、あるいは私立探偵と依頼人のような関係に似てくる。
 この場合は、神戸地検の検事は依頼人である被害者の意見や思いを尊重し、それに基づいて判断し、行動する。

 今、度重なる冤罪事件の発覚や証拠改ざんなどで、検察の取調や供述調書がまったく信用されていない。
 検事は市民の敵のように思われている。
 だが、今回の山崎前社長起訴で検事は事故の被害者という市民の味方として行動している。

 そうであれば、今回の事案では検察の供述調書は信用されてほしいと望むのだが、ほぼ同時期の別の事案では、検察の取調と供述調書が否定されている。
 陸山会事件では、検察作成の多くの供述調書が証拠として採用されなかった。

 検察の供述調書への不信感は、山崎被告に有利に働いた。
 JR西日本の社員などの証人が、次々と供述調書とは違うことを公判で証言した。
 彼らは供述調書で認めたとされる脱線の危険性を公判では否定した。

 裁判官は他の事案と同じく供述調書よりも偽証罪の適用される宣誓した証人の証言を重視する。
 現状の供述調書否定の風潮では、法廷での証人の証言が出揃った段階で判決は決まっていたようなものだ。
 証人として出廷したJR西日本の社員も鉄道関係者も自分らの親分を見事に守った。
 皮肉を込めて、あっぱれとしか言いようがない。

posted by 春眠 at 17:31| Comment(0) | 政治・経済・社会・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

ドイツでの抗議活動穏健化による広がり

 日本での福島原発事故の後、ヨーロッパでは大規模な反原発デモが起きた。特にドイツでは反原発デモの規模は大きく、十万人規模のデモが行われた。
 ドイツでは交通を完全に遮断した道路で歩行者天国を散策するように親子連れでデモに参加できるので、大規模なデモが可能だと言われる。
 ドイツには地域の連絡網に似たデモを呼び掛けるネットワークもあるようで、デモが地域での生活と結びついているようだ。

 親子連れのデモの明るい様子を見るとドイツは市民社会が進んでいるとも思うが、東西冷戦の時代は日本と同じようにもっと暴力的な抗議活動が行われていた。当時はドイツに限らずヨーロッパでは極左によるテロ活動が活発で、駅の爆破や経営者の殺害などの破壊活動が行われていた。
 こうした活動は当時の共産圏から支援を受けているとも言われ、活動家たちは人々のためと標榜していたが市民の政治への純粋な抗議というよりは、共産主義革命に通じるものと見られていて、活動が一般市民とは乖離してしまっていて、当時の日本の状況とも似ていた。
 ベルリンの壁が崩壊したことで、暴力革命を唱えるマルクス・レーニン主義も色褪せてしまったのか、こうした極左活動は急速に衰えた。

 昨年11月末にドイツで山本太郎が参加した、核廃棄物列車輸送を抗議する線路での座り込み抗議活動も、地元家族の参加も見られ、警備している警察も穏やかで、和気藹々とした雰囲気がある。
 日本のマスコミではかなり激しい衝突があったと報道されているが、山本が参加したグループは穏やかで、じっと線路に座り込み、静かに抵抗しながら警察に担ぎ出されていた。

 現在のドイツでは地域社会と政府への抗議活動がうまく馴染んでいるように見受けられる。
 かつてのイデオロギーを掲げた抗議ではなくて、生活に密着した危険や課題にフォーカスし、地域住民の理解を深めることで、地域住民の抗議活動への参加意識も高まったようだ。
 おとなしくしていると政府が勝手に弱い立場の住民に苦難を押しつけて来るとなれば、住民も結束して立ち上がるしかない。住民一人一人は弱くても、数を集めて結束すれば、強い政治意思となる。

 ただ、生活密着の課題であっても、地域住民参加型の抗議活動を広く展開するには優れたリーダーシップがいる。
 イデオロギー対立の時代は個性の強い情熱的なリーダーがいたものの、情熱が扇情を呼び、活動は極端な方向へと尖鋭化していき、リーダーも活動自体も暴走した。
 今も情熱は必要だろうが極端に走らずに住民の生活とともに歩める穏健で冷静なリーダーシップが求められる。

posted by 春眠 at 12:48| Comment(0) | 政治・経済・社会・文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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